のれんの向こうがわバックナンバー


 その三十

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

新蕎麦と落語、そして昼酒で大人の粋な憩いを満喫
 
〜西蔵での「蕎麦の会」〜

 新蕎麦の香り立つ11月。この時期、毎年勝山で開かれる催しのひとつに、御前酒のレストラン「西蔵」が主宰する「蕎麦の会」がある。
 うどん文化圏・岡山にあっては珍しく(勝山は蕎麦好きが圧倒的多数)本格的な江戸切り蕎麦が味わえる上、落語と美酒でもって粋なひとときを楽しもうというのだからたまらない。昨年参加しすっかりその道(!?)に開眼してしまった私は、今年も是非にと、るんるん気分で予約を入れた。
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 当日は、11月のはじめにしてはめずらしく日本海側で雪がふり、勝山でも真冬なみの寒い一日となった。きゅっと身がひきしまるような山間の空気が、酒蔵のある町、勝山にはよく似合う。おいしい水と澄み切った冬の空気が、きれいな酒を醸すのだ。

 さっそく、11時の開場とともに西蔵の二階座敷に上がり込む。すでに何人かが、銘々おざぶに腰を落ち着けなごんでいる。9回めともなると、毎年楽しみに参加される常連さんも多いようだ。
 二百年もの時を刻んだ蔵の内部は、いつ訪れてもまるで胎内にいるように居心地がいい。どっしりとした欅の大黒柱や松の大梁から発せられる気に、あたたかく包み込まれているようだ。

 やがて、調子のいい出囃子に乗って真打ち登場。円楽一門の一番弟子にあたる三遊亭鳳楽師匠は、古典落語界の中でも噺一筋の本格派。品のよさと切れのいい江戸言葉がなんといっても持ち味だ。
 まずは、今の時代にもそこかしこにいるおかしな酒呑みをマクラで軽やかにやり、やがて本題へ。いったん話に入るともうそこは江戸の世界。笑わせつつも、みっちりと芸でもってきかせてくれる。

 この日の話は、八五郎の言い訳と酔っぱらいぶりがなんともおかしい「猫の災難」。くいっ、くいっと酒を喉に流し込む仕草なんざ実に見事で、八五郎が酔っぱらっていくにつれ、演じる鳳楽師匠の顔もだんだんと赤くなっていくほどの名演技。見ているこっちまで酔っぱらってしまいそうになる。
 普段高座を見る機会がないせいか、こうしてライブを目の当たりにすると、落語の面白さ、芸能としての完成度の高さに改めて感動する。やっぱり落語は生がいい!加えて、古典落語に出てくる酒は、やっぱ日本酒でなくっちゃ。ビールやウイスキーでは、さまになんないことしきり…。

 酒呑み気分を味わい、すっかり緊張感もほぐれたところで、お次はお待ちかね、新蕎麦の登場だ。お馴染み、蕎麦職人・清水敬紀さんが、宮崎から蕎麦道具一式をかかえ腕をふるう。
 いつものように、食前酒としての「蕎麦前」でまず一献。大吟醸の華やかな香りを楽しみながら、先付けの柿生酢、ハエ甘露煮、そばもやしの3品盛りをつつく。続いて、そばがき、そば焼き味噌、そばとろろ。ついでに玉子焼きも注文。どれもこれも憎いほどに行き届いた味わい。蕎麦切りが出てくるまでの時間、こうしてつまみでちびちびやるのが、なんとも贅沢で楽しい。

 だんだんとほろ酔になりお腹もふくれ、そうこうしているうち、締めのせいろが運ばれてきた。今年の清水さんの新蕎麦は、長野県産と茨城県産をブレンドしたもの。むろん蕎麦粉100%の生粉打ちである。「走り」とはいえ味が濃いのに驚く。新ソバならではの繊細な香りとしゃきっとした歯ごたえ。すべてがひとつに凝縮されたうまさに背筋がのびる。

 もともと蕎麦は庶民の食べ物。とはいえ、美食の頂点を極めれば蕎麦にたどりつくと言われるほど、洗練された奥深さがある。
ねぎやわさび、大根おろしといった、蕎麦には欠かせない薬味も、ぴりっと心地よい刺激をもたらして実にさわやか。しあげにあつ〜い蕎麦湯をつゆに注ぎ込んでふーふーしながら飲めば、からだ中があったまり、お腹もすっきりと落ち着く。
 一連のもてなしに身をまかせていると、すっかりくつろぎ、よし、明日もがんばれるなどと、ひとまわりおおらかになったような気にさえなるのだ。

 それにしても、この会は、一度はまると病みつきになる。今まで知らなかった世界の扉を開けてしまったような感覚だ。粋な笑いと昼酒でいい気分になって、お初の蕎麦をたぐる。特に午後の会は、日がまだ明るいということもあって、「楽しむ」というよりむしろ「憩う」という言葉がぴったりくる。お湯にでもちゃぷんとつかりにいくような、ささやかでいて贅沢な至福のひとときだ。この時ばかりは、日本人で良かったと心から悦に入る。大人の贅沢とはきっとこういう愉しみを指すのだろう。こんな風にさりげなく楽しめる場が、もっと日常にあればいいのにと思う…。

 西蔵を出て、しばらく酔いをさまそうと時間をつぶしていたら、ひと仕事終え、ひょいと表に出てこられた清水さんにお会いした。
「どうでした? 今年の蕎麦はなかなかよかったでしょ」。
「はい、とっても」。
響きのよい声に送られ、今年もまた、幸せなひとときを堪能できたと、感謝の気持ちでいっぱいになるのであった。

2002年12月1日



 その二十九

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勝山っ子の心意気がぶつかる
 
〜「喧嘩だんじり」の熱い夜〜

 今年もまた、熱い祭りの季節がやってきた。毎年10月19日、20日の両日、勝山の町は、夕方から深夜にかけて勇壮な喧嘩だんじりの興奮に沸く。
 実際、これを抜きにして勝山は語れない。この町に住む誰もが誇りに感じ、どこよりも誰よりも一番かっこいいと思っている祭り、それがこの「喧嘩だんじり」なのである。
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 しかしながら、あいにく今年は雨に見舞われてしまった。初日は一回のみ行って中止。2日目に望みを託したものの、この日も前日と同様午後から降り始め、夕方からはさらに雨足が強まってきた。
どうなるんだろう…。そんな思いで念のため電話で確認をとってみたところ、「雨が降り続けば…中止ですね…、まだはっきりしたことがわからなくて。でも延期はありません」との答え。地元の方でもぎりぎりまで判断しかねている様子だった。

 しかし、とにかく行くしかないと私は心の中で決めていた。あの胸のすくような喧嘩祭りに「順延」は似合わない。とはいえ、無理に決行して雨で車輪が滑りでもしたら大変なことになる。なにせ2〜3tもあるだんじりが容赦なく真正面からぶつかるのだ。
 小降りになるのを待って、一回だけでも観たい、そんな思いで一路高速を走らせた。

 午後8時。不安と期待が入り交じった思いで勝山に到着。降り続いた雨も、ようやく小雨に変わり小康状態を保っている。さっそく会場近くの駐車場に車を止め、歩き始めたその瞬間、

「どおん!」
だんじりがぶつかる衝撃音がとどろいた。
「始まってる!」
思わず私の胸は高鳴った。
「オイサーオイサー」のかけ声とともに駆け抜けていく法被姿の男たち。たたみかけるように打ち鳴らされる鐘と太鼓のリズム。そこには、まぎれもない祭りの光景が繰り広げられていた。
 実際、町は雨がどうしたといわんばかりの人だかりで活気に満ちていた。危険を案じてか、警官の姿もあちこちで見られたものの、すでに舞台は出来上がっている状態。様子がわからず心配した自分はなんだったのかと、いささかバカに思えてしまったぐらいだ…。

 それにしても、どの顔もきらきらと輝いている。
いつものように、元若連、中若連、上若連、西若連、城若連、新若連、旦若連、川若連、原若連の9町内が対抗戦を組み、上手と下手に分かれだんじりをぶつけあう。総代の掲げる提灯を合図に、20〜30人の男たちが力を振りしぼり、相手のだんじりに突っ込んでいく。ぶつかるとさっと後ろに引き下がりこれを何度も繰り返す。後ろで見ているこちらまで、お腹にズンと振動が伝わってくるようだ。

 ぶつかる瞬間に微妙なかけひきがあるものの、基本的に勝ち負けを問わないのがルール。「喧嘩…」はあくまで誇りと意地をかけての気迫勝負である。
 華をつとめる「ぼうばな」のイキのよさに加え、前、横、後ろについた男たちの呼吸がぴたりと合った時のスピードと一体感。そして絶妙のタイミングでぶつかった時のスリリングな興奮。見ごたえのある一番を心に描き、息をのむような熱い見せ場が続く。

 沿道を埋め尽くす黒山…。
小学生の女の子とて負けてはいない。「オイサーオイサー」と身を乗り出して叫ぶ姿は、だんじり率いる男たちの気迫となんらかわりはない。ただみているだけでなく、ここでは誰もが皆主役になりきって「自分たちの祭り」に胸を踊らせる。問答無用の熱い時間と空間が人々の心を束ね、まるでひとつの聖域(せかい)を作りあげていくようだ。

 普段は静かな町が炸裂する年に一度の祭り。ほとんどの店は休業の看板をあげ、学校も休みになる。祭りの日が近づくと、旦那衆は仕事そっちのけで、だんじりの細工や作戦会議に明け暮れる。県外で生活する社会人も大学生も、祭りには必ず帰郷し顔を揃える。彼らにとって祭りは、なにものにも変えられない心のふるさとなのである。

 粋ないでたちに身を包んだ男たちは老いも若きも皆一様にかっこいい。その気風のいい晴れ姿は、まさに子どもたちにとっての憧れの的だ。
独特の祭り囃子と、ふだんと違うこの情景を、彼らは体に刻みこみながら将来の自分の晴れ姿を思い描くのだろう。

 祭りの翌日には、花びらきという名の酒宴が開かれる。雨と重なった今年の祭りは、人々の心になにを残しただろう。それぞれの奮闘ぶりを酒の肴に、きっと、ここちよい「祭りのあと」のひとときが流れているに違いない。

2002年11月1日



 その二十八

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伝統の技を今に伝える名工
 
〜勝山の伝統工芸品「高田硯」を訪ねて〜

 JR勝山駅を下り、歩いてすぐのところに「檜舞台商店街」と書かれた大きな木製のアーチが見えてくる。電器屋さん、花屋さん、自転車屋さん…。昔ながらの商家に混じって新しい店が入り交じるこの商店街は、連子格子の商家が並ぶ保存地区に比べるとどことなく庶民的。いつもは、保存地区をぶらりと歩くことが多いのだが、この日は少し気分を変えて、隣町の商店街に足を伸ばしてみた。  
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 この通りに店を構える中島硯店は、勝山内にただ一軒残る「高田硯」の製造元である。 高田硯といえば、室町時代から続く勝山の伝統工芸品。全国で3本の指に入るといわれる良質の原石が地元で産出されることもあって、墨客の間ではその名が広く知られている。硯の名はかつてこの地方が、高田の庄と呼ばれていたことに由来しており、江戸時代には、将軍にも献上されていたそうだ。

「硯」と大きく書かれた垂れ幕を目印にさっそく店内へ入ると、奥の方で水を張ったたらいに板をのせ、その上で一心に硯を研いでいる職人さんがいた。この店の三代目、中島健夫さんだ。

「最近では、生活の中で“墨をする”という行為自体が少なくなってきているし、硯自体、一生のうち何度も買い替えるようなものでもないですからね。ぽんぽん売れることはありませんよ(笑)」。 硯という、どことなくストイックな道具と対峙する職人さんと聞いて、無口で求道的な方を想像していたが、実際お会いしてみると、年齢も若く実に気さく。言葉の端々にユーモアがとびだし、唯一の伝統継承者という堅苦しさをまるで感じさせない。

「良い硯の条件は、墨がよくおり、しかも発墨がいいこと。高田硯の石は適度な硬さがあって、原料としては最適なんです」。硬すぎると墨がすべってしまうし、やわらかいと硯の粒子が混ざり墨の色を損ねてしまう。そのためいかに研ぐかがもっとも神経を使うところだと、説明してくれた。

 硯の原料となるのは黒色粘板岩という石で、名勝神庭の滝近くの山中で採掘される。石のよい部分だけを取り出し形を整えた後、肩にノミを押しあてかなりの力を使って彫りあげる。品質を最も左右するのがその次の「研ぎ」とよばれる工程で、最初に砥石、次に粗目の耐水ペーパー、最後に細目のものと3回にわけて繰り返す。

その作業たるや、「ほとんど根気だけですね(笑)」と中島さん。一日中研ぎ続けても、こなせるのはせいぜい一個。そして最後に漆を塗って完成となるが、ひとつを作り上げるにはよほどの忍耐と集中力、そして労力が必要だ。

 中島さんは、若干19歳で三代目として跡を継ぐ。職人だったお父さんはすでに亡く、店で働いていた職人さんたちはいずれも高齢を迎えていた。順々に引退していく中で、伝統の灯が消えてしまうことに危機感を感じた中島さんは、20代なかばで職人の道へ。すでにその時、高田硯の看板をあげる店は2軒を残すだけになっていた。

「教えてもらえないんですよ。それこそ試行錯誤でここまでやってきたようなもんです」。 自然の石が相手だから技術だけでたちうちできるものではないと中島さんは言う。原料となる石を選別し、さらにどの部分を使うか、正確に目利きできるまでには何年もかかる。

 それにしても、鑑賞するだけの美術品と違って、工芸品には手元に寄せて使い込んでいく喜びがある。鍛練した技と経験をもつ職人さんの手から生まれるものには、使う側との間になにかしら通いあうものがあるのだと思う。 「品物自体がマニアックですからね(笑)。ひとつあればそれこそ孫の代まで使えますよ」。考えてみると、硯というのは、実に健気で息の長い道具である。

 値段は1万円〜2万円が主流。原石の形をそのまま生かした自然硯のほか、円硯、方硯など多種多様。一つひとつ手作りするので、もちろん二つとして同じものはない。ひんやりと冷たい石の感触と、磨きこまれた光沢。飾り気が一切ないのもこの硯の特徴で、用の美をそのまま兼ね備えたものばかりだ。手のひらにおさまるかわいらしいものもあり、こちらは俳句をたしなむ人に人気があるという。

 硯だけでなく、えとの置き物や、文鎮、花台などの細工物も手がける。硯一筋のこだわりはなくあくまで自然体だ。 「伝統工芸の重圧を感じてたら、とてもやってられません」。 そんな言葉に、逆に自信ともとれる若き名工の横顔がのぞく。

 最近では、中島さんの硯を求める人は全国に広がりつつある。ホームページなどを通じて話題を呼び、取材の申し込みが後をたたないそうだ。 「細々とでも、本物の硯を作り続けていきたいですね。それこそ売るのが惜しいと思えるようなものができたら最高です」。

 飾りたてることをせず、明るく静かで本物志向。そんな生粋の勝山人気質を、ここでもまた見せつけられた思いがした。

2002年10月1日



 その二十七

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粋なスタイルで日本酒文化を発信
 
〜大盛況、ロンドンでの「酒の会」〜

 ところ変わればしな変わる…、ではないけれど、お酒の飲み方も、地方によって大きく違うよう。土佐の人は豪快な酒飲みが多い、なんてのはよく聞く話。基本的に九州の人も、お酒が強そうなイメージがつきまとう。
 御前酒の蔵元、辻社長によれば、九州でも、特に宮崎の人は男性も女性も根っから日本酒の好きな人が多いらしい。仕事がら、あちこちで営業に回る機会も多く、試飲会などを催すと、地方によって飲むピッチがあまりにも違うので驚くそうだ。先の宮崎は、飲み方も陽気で、またたくまに酒がなくなっていくのが毎回のパターン。反対に、北海道で酒の会をやると、カニやイクラなどおいしいものがありすぎて、日本酒が隅に追いやられてしまうことも少なくないらしい。なるほど、と納得。
 さて、ご当地岡山はどうなんでしょう。宮崎の人に比べると、ややおとなしめという気もしますが、他県の方から見るとどんな風に映るのか、気になるところです…。
 さて、今月は、6月に開かれたイギリス、ロンドンでの日本酒イベントをご紹介します。岡山代表「御前酒」もこれに参加しました。
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 猛暑の夏もようやく背中を見せ始め、少しづつ秋の気配が感じられる今日この頃。日本酒好きにとっては、だんだんと愉しみな季節が近づいてくる。
 ひと口に日本酒ファンといっても、お酒の楽しみ方は人それぞれ。純粋に飲めればいいという根っからの酒好きもいれば、いける口ではないがお酒を囲む雰囲気が好きという人まで、実にいろいろ。
 焼きもの好きは酒器に凝り、料理好きは酒の肴に凝り、はたまた旅行好きは全国の蔵巡りに出かけと、いろんな角度からアプローチできるのも、日本酒の面白さだろう。背景やシチュエーション、その他ちょっとした演出を工夫するだけで酒の味が深まり、飲む楽しさが倍増する。

 最近は、単に酒を醸し売るだけにとどまらず、さまざまな趣向で、日本酒文化そのものを発信していこうとする蔵も多い。
 たとえば、蔵元が営む酒亭では、よそでは味わえない秘蔵の酒とともに、選りすぐりの旬の肴が味わえる。
 御前酒が営む酒亭、「レストラン西蔵」もしかり。酒と料理はもちろん、ギャラリーやステージも兼ねた交流の場として、文化サロンの役割も果たしている。歴史に磨かれた造り酒屋ならではの風格が漂う空間は、まさに贅沢な日本の粋そのものだ。
 本来、銘酒とよばれるお酒の傍らには、そんな大人たちのための上質な憩いが花開いていたに違いない。

 日本酒が育んできた文化を、一方で海外にも積極的に働きかけていこうとする動きもある。
 今年6月24日、イギリスのロンドン大学構内で開かれた「日本の銘酒を楽しむ会」がそれ。イギリス在住の日本人に、三遊亭鳳楽師匠の本格落語と、自慢の日本酒を心ゆくまで楽しんでもらおうという企画に、御前酒をはじめ全国の名だたる蔵元、9社が顔を揃えた。
 当日は、日本人やイギリス人約200人が集まり、大盛況のうちに幕を閉じたそうだ。

 もともとこのイベントは、いい日本酒を広めることを目的に活動を行っている「日本の酒と食の文化を守る会」の主催によるもの。現在50名ほどの会員で組織されており、毎年、さまざまな趣向で例会を行っている。結成21周年にあたる今年は、辻社長の実姉がイギリスに在住なさっていることもあり、特別に全日空の協力を得て実現したのだそうだ。 「在住の日本人の方には、落語を通じて久々に美しい日本語を聞いたと感激される方が多かったですね」と辻社長。 さらに、「こんなにおいしいのになぜ、もっと日本酒を海外で宣伝しないのかと首をかしげるイギリス人もいましたよ」。

 フランスの高級ワインやイギリスのスコッチウイスキー以上に洗練された技術をもつ日本酒は、そのデリケートな味わいからしても、もっと評価されていいはずである。しかし実際は、海外に流通している日本酒は、輸送費その他の事情から、非常に高価で、一般家庭にまでなかなか浸透していかないのが現実だそうだ。
 そんな事情を考慮してか、今回のイベントは、なんと入場料を一人10£(日本円にして約1900円)に設定。蔵元の意気を感じる大盤振る舞いである。日頃欲しくても飲めない吟醸酒を格安で堪能でき、さらには江戸文化の神髄、落語でもって絶妙な酔い心地に浸れる。

 その意味でも、今回のような海外での日本酒のPR活動はとても意義深いものであったようだ。実際に落語を外国人に理解してもらうのはなかなか難しいかもしれないが、こんな企画が国内でも増えていけば、若者の日本酒離れにも少しは歯止めがかかり、粋ですてきな大人たちが増えていくかもしれない。
 酒をただ飲んで味わうだけでなく、空間や料理や、音楽といったさまざまな文化と融合させ、日本酒に合うシチュエーションを提案するのは、実に楽しい試みである。いいお酒に酔うためには、なんといっても気持ちの良い・憩いの場・が必要なのである。
        2002年9月1日



 その二十六

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勝山の夏の風物詩
 
〜川瀬の・アユ掛け・をたずねて〜

 梅雨が明けると、いよいよ本格的な夏の到来。照りつける太陽とせみの声に、うだるような熱気を感じつつ、いつものように橋を渡り、保存地区へと向かう。   ********************************************************

 涼しげな水の流れ―。せせらぎが耳に心地いい。一服の清涼剤のように、つかのま、暑さをやわらげてくれる。

 勝山の夏の風物詩といえば、なんといっても川の主役、アユだ。
 町の裏手には、高瀬舟の発着場だった石畳が続き、ここを流れる旭川は、アユ掛けのメッカとして親しまれてきた。
 高瀬舟はその姿を消したものの、釣り人達の姿は今も健在。解禁日を過ぎると、待ってましたとばかりに、川のあちこちで釣り人たちの竿が立つ。

  この地方で「アユ掛け」といえば、えさや毛ばりを用いない友釣りのことを指す。
旭川はダムで分断されているため、アユの天然遡上はないが、中橋のたもとから上流は、数少ない友釣り専用区でもある。
 豊富な水量と、清らかな水質に恵まれ、姿形の良いアユが釣れると人気も高い。
  そんな土地柄ゆえに、勝山っ子にとって、川遊び&魚釣りはまさに通過儀礼ともいえる遊びの定番。誰もが幼い頃から川に親しみ、自然とのつきあい方を身につけていく。
 当然、町には年季の入った釣り人も多い。菅笠を頭にかぶり、昔ながらの風情でアユを釣っているお年寄りの姿もよく見かける。

 福本泰幸さんは、勝山では誰もが知る釣り名人のひとりである。さっそく川で釣りをしているところにおじゃました。
 釣り師というから、野性的な方を想像していたが、第一印象は小柄で、とても柔和な雰囲気。いかにも人のよさそうな感じが、サングラスの奥からでも伝わってくる。

  この日は35度という炎天下にもかかわらず、顔色ひとつ変えず、飄々と竿をさばく様子は、暑苦しさをみじんも感じさせない。
 いったん竿を握ると、ご本人も「昼飯を忘れてしまうこともしばしば」というだけあって、時間の感覚さえも置き忘れてしまうようだ。まるで川と一体化している感じさえ受ける。アユ釣り師には、どちらかというと「静」の人が多いというが、なるほどとうなずける気がした。

  さて、友釣りは、オトリ缶をつけ、8m以上もの長い竿を操るのが一般的なスタイル。アユ釣りには、ドブ釣りやエサ釣りなどいろいろあるが、中でも友釣りは、なわ張り意識の強いアユの習性を利用したもの。アユのいそうな所を見計らって、おとりアユを入れてやると、攻撃しようと近寄ってきて針にかかるというわけだ。

  はた目には、のんびり糸をたれているようでも、福本さんの視線は、たえず水中のおとりアユの動きに注がれている。
 言ってみれば、アユと人間の知恵比べみたいなものだから、アユの習性に精通し、自然を観る目の肥えた人でないと、簡単に釣れるものではないらしい。
 その美しさからは想像しがたい攻撃性をもっていたり、かと思えば水質や水温の変化に敏感でとてもデリケートだったり、一年で一生を終えるはかなさもまた、アユの魅力なのかもしれない。

 一方で、自然のバロメーターともいえる天然のアユは、今いたるところにダムが建設され、その生息地がどんどん奪われている。実際、日本中のほとんどが放流河川ということを考えると、天然のアユはまさに絶滅状態に等しい。

 そんな話しをしていると、福本さんがおもむろに、川の真ん中にある中州を指差した。「昔はなかったです。汚染で川底のどろが流れ込み、こんな風に中州ができてしまって…」。
 素人目には、それでも充分に美しい川の流れも、昔はもっともっと清らかで、ありのままの姿をしていたに違いない。
 なにより、以前は川幅がもっと広かったという事実には少なからず驚いてしまった。便利さや見た目の美しさとは違う、自然のあるべき価値を、きっと福本さんのような釣り人たちは肌で知っているのだろう。

 名人の釣りをぼんやり眺めながら、最後に「アユ釣りの醍醐味はどんなところですか?」とたずねてみた。
 「掛かったときの、なんでしょうかなあ…背中にかかったおりは特にですけど、くねくねした独特の手ごたえがあります」。
 たとえ何時間も釣れなくても、この一瞬さえあれば、すべてを忘れ、最高の気分になれるというものらしい。
 「釣り人はみんなそうじゃないですか…」。聞くまでもないあたりまえのことに、まどいながらも笑って答えてくれた。

 午前中はまだ水が冷たく、結局この日釣れたのは一匹だけ。親切にも、生きたままを氷詰めしてくれ、おみやげに持たせてくれた。
 帰宅して、さっそく塩焼きにして食べてみた。上品な苦味が広がり、これぞ旬の贅沢!と思わず悦に入る…。

 川に暮らす人たちは、シーズンともなれば、釣ってきたアユを食卓にのせ、美味しい地酒とともに夕餉のひとときを楽しむんだろうか…。言うまでもなく「うらやましい〜」の一言である。
 ちなみに、アユ釣り名人福本さんの釣るアユは、保存地区にあるレストラン西蔵でいただくことができる。地鮎料理の数々を盛り込んだ期間限定の「夏の膳」として、毎年人気を呼んでいるそうだ。    
     2002年8月1日



 その二十五

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暮らしに溶け込む庶民の味
 
〜のれんの町に見つけた、昔ながらの豆腐屋さん〜

 日本の味を代表する食材のひとつ、豆腐。 一丁あれば、朝の味噌汁から、ちょっとした小鉢まで、なんにでも柔軟に変身してくれ、献立の隙間をうめてくれる。
 普段はメインディッシュとは程遠い存在ながら、夏に食べる冷ややっこは、するりと喉を通って爽快だし、たっぷりのねぎを散らした湯豆腐は、冬のからだを芯からあたためてくれる。
 控えめでいて、時として名脇役ぶりを発揮するのが豆腐の妙。健康食でありながらどことなく粋な風情もあって隅におけない。 ********************************************************

 いまでこそ、豆腐はスーパーで買う食品のひとつになってしまったものの、ひと昔前までは、きっとどこの町にも、町内に一軒は豆腐屋さんが存在していたに違いない。 できたての豆腐を、桶を持ってその日に食べる分だけを買いに走る、そんな光景も、今となっては、懐かしい遠い過去のものになりつつあるのだろうか。

 保存地区の路地の奥に、いまでも毎日豆腐を作り続けている小さな豆腐店がある。看板はなく、目印は一間ほどの狭い間口にかかる濃紺ののれんだけ。さいころのような、四角い豆腐の形がそのまま染め抜かれている。
 さっそく「おじゃまします」とのれんをくぐると、中から「はいっ」という張りのある声が返ってきた。  迎えてくださったのは、店のご主人、西村英一さん。食品会社を退職し、一人で豆腐屋を始めて35年というベテランだ。

 豆腐屋の朝は早い。西村さんの一日も、毎朝6時にスタートする。「そんなに早くないでしょう」とは言うものの、冬はさぞかしつらかろうと思ってたずねてみると、 「今はボイラーに変わって楽になりました。すぐに湯気が回ってあったかくなりますよ」との答え。以前はなんと生木で火をおこし、大豆(呉汁)を煮ていたそうだ。
 すべての作業をひとりでこなすので、一日に作る量は100丁ほど。出来上がると、袋詰めして、近所の店へ配達に回る。一段落つくのは、だいたいお昼前ごろだ。「豆腐屋ですから、うちは朝と昼は必ず豆腐汁と決まってます(笑)。でも最近の子どもたちは、朝はパンで、豆腐汁なんか飲まんでしょう…」。時代の移りかわりか、若い人たちの和食離れを嘆くものの、体で覚えた仕事の段取りは、昔も今も変わらない。

 できたてのお豆腐を見せていただいた。「うちのは、固めなんですよ」。 みるからに濃い大豆の味がしそうな、昔ながらの木綿豆腐だ。勝山では、やわらかな絹ごしよりも、むしろしっかりした豆腐が好まれるらしい。
 一方、油揚げは無骨なまでに大きい。四角ではなく三角形なのが勝山の特徴で、4cmほども厚みがある。 「料理屋に嫌われる揚げですわ」(笑)。それだけ調味料をたくさん必要とする、ということらしい。…思わず納得。でも、これだけの存在感。なんともうまそーな「顔」をしている。
 作り手の実直さが、そのまま豆腐や揚げにもあらわれているような、そんな気がした。

 最近は、グルメブームもあって、こだわりの超高級取り寄せ豆腐というものも一方で人気らしい。国産大豆に、天然のにがり、さらには天然水という原料へのこだわりは、確かにそそられるものの、空輸代を入れて2パックで数千円とはかなりの高値。お豆腐って、庶民の食べ物ではなかったかしらん?と首をかしげたくなる。
 そこへいくと、西村豆富店は、1丁100円と値段も実に良心的だ。「国産大豆は、値段が3倍ぐらい高いしね。 少量をかき集めてくるから、豆自体も揃ってない。どうもムラが多くて、うまく寄せられんです」とご主人。 ちなみに西村豆富店では、豆腐用に栽培されたアメリカ大豆を原料に、水道水で仕込んでいる。
 実際には井戸もあり、豆腐も地下水を使うとおいしくできるそうだが、業務用に汲むとなると、保健所の検査がいろいろと厳しくやっかいらしい。
 気どらずごくごく普通で、毎日買える値段。お豆腐のいのちは、そんなところにもあるような気がする。薬味にこだわり豆腐を選ばずの気分で、あれこれと食べ方を工夫するのが面白い。

 ほかに、豆腐に重しをかけて水抜きした揚げ地も人気という。そのまま低温でゆっくり揚げるとおいしい生揚げになる。酒のお供にもなり、近所の居酒屋さんがこれをメニューに入れているそうだ。

 もし、自分の家から歩いていける距離に、お豆腐屋さんがあったなら、我が家の食卓の風景も変わっているかもしれないと思うのは穿ちすぎだろうか。スーパーで均一に並ぶお豆腐を買うのと、馴染みのお豆腐屋さんで、切り立ての豆腐を朝一番に買ってそのまま食べるのとでは、やはり気分も違う。
 一丁100円のお豆腐が、作り手と買い手の顔がみえるそうした関係を築き、住み心地のいい町づくりに、一役買っている。町の中に溶け込む小さな豆腐店を訪ねて、この町のささやかな暮らしの豊かさを垣間見た気がした。 
     2002年7月1日


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