のれんの向こうがわバックナンバー


 その十二

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「生活の場」としての町家
〜ひのき草木染色工房、加納容子さんの暮らしを訪ねて〜
 保存地区の町並みの美しさをひときわ印象づけている町家。ファサードとしての格子の表情は実におもしろい。細目格子、出格子、平格子…、よく見ると一軒一軒意匠が違っていて個性的。「うちはこんな家だよ」と自己主張しているようで想像をかき立てられる。
 けれど、「伝統的建造物群」としての町家ではなく、生活の場としての町家を考える時、忘れてはならないのはそこに住まう人の日常の暮らしぶりだろう。「家」がどんなふうに機能していて、そこにはどんな空気が流れているのか、その様子を知りたくて、保存地区の中で最も古い町家のひとつであるお宅を訪ねてみることにした。

 表には「ひのき草木染色工房」と掲げられた看板。その軒下で、地元勝山特産の檜の皮を使って染めあげた美しいのれんが風になびく。格子戸の向こうで出迎えてくれたのは、「町並み保存事業を応援する会」のメンバーの紅一点、「よんちゃん」こと加納容子さん。いわずもがな、保存地区の家々に掛かる粋なのれんの製作者。勝山を「のれんの町」で一躍有名にした、まさにそのきっかけとなった人である。美しい黒髪を一束にまとめ、きびきびとした身のこなしときっぱりとした話しっぷりが、とても都会的な印象だ。

 加納さんの住まいは、もともとは三浦藩の米蔵だった3棟からなる。隣町で造り酒屋を営んでいたお祖父さまが、明治になって移り住んできた際に町家に仕立て、容子さんの代になるまで一家はここで商いをしながら暮らしていた。
 蔵の原形をそのままに残す家の内部は、240年前の建造当時の面影をここかしこにとどめている。長い間の塵や埃、風…、すべてのものをおおらかに包み、吸い込んだ土壁は、「よくここまでになったね」と語りかけたくなるような風情。重ねた月日がそのまま地にとけ込んで味わい深い。

 家の中は、各部屋が壁で仕切られているわけではなく、襖をはずせば表の通りから奥に抜ける庭まで、まるごと一つの大きな空間に感じられるのも大きな特徴だろうか。そして、町家ならではの独特の部屋の並びがおもしろい。
たとえば、店の横をつなぐ「店の間」は、主が客にお茶をもてなしたりする憩いのスペース。気心の知れた客はここにしょっちゅう入り浸たり、人が大好きだったというお祖父さんが「一日中ここで人を相手に飲み食いしてた」のを、加納さんは子ども心に覚えているという。もう少し奥、バックヤードにあたるところに「通り間」があり、ここは家族の生活の場も兼ねている。格子戸がガラッと開けば、「いらっしゃい」といつでも顔を出せるフレキシブルなスペースである。もっとも、最初から職住の空間分離という発想は加納さんにはないらしく、以前は店の間が半分生活の場でもあったようだ。最近は観光客もふらりと表から入ってくることが多くなって、生活がまるみえになるのもどうかと知人からの助言もあり、1年半ほど前に部屋を移動させたそうだ。そして、以前の店の間は加納さんの生業である糸紡ぎと機織りの作業場になっている。

 気になるのは台所である。
「見せてもらっていいですか?」と、お願いしたところ、「ええ、いいですよ」と、軽くOK。まるで気どったところがない。
町家は、建物の中を土間が貫通しているのが大方の特徴で、「ダイドコ」はその途中にある。竈土はそのまま調理台として利用されており、愛用の業務用コンロが3台。流しはむろんステンレスなどではなく、いわゆる昔の「ジントギ」に近い。年季の入った調理道具の数々が壁を埋めつくすように吊り下げられている様はなんだかセピア色のコックピットのようだ。そして「通り間」の奥に、ダイドコに関連して食事をとる「居間」がある。
 それにしても空間が高い。土間の上は吹抜けなので、太い梁がむきだしのまま。風通しがいいというよりも、ほとんど吹きっさらしに近く、「ここはアウトドアか」といいたくなるようなたたずまいである。けれどここでなら、クサヤだろうがなんだろうが、モクモクと煙をあげて魚を焼いても平気のへいざ。油の飛び散るてんぷら料理もめではない。夏になればすぐ裏手の井戸でスイカをまるごとざぶんと冷やす。シンプルでかつ大胆…、そんな食べ物の一番おいしい食べ方を熟知しているかのようなこのダイドコは、ある意味、機能的でさえある。

「冬になるとね、あそこから雪が吹き込んでくるのよ」と一番高い天井裏を指さしながら加納さんが言う。「だから冬は外より一枚多く着込むんですよ(笑)」。あっけらかんとこともなげに言い放つ。「暑い風も寒い風も体に受けて暮らす」そんな生活を何十年も続けてきた加納さんにとって、不便という感覚はみじんも感じられない。それどころか「古い建物をいったん請け負ったからには人間の方が鍛えられるべきですよ」と歯切れのよいひと言が返ってくる。
 実際に家の中を移動するたび、土足を脱いだり履いたり、框を上がったり降りたりの繰り返し。町家暮らしにはかなりのフットワークが必要だ。そのうえ土間はタイルのようにフラットではないから、ずるずる歩くとうっかりつまづきそうになって気が抜けない。
 
 歩くたびにギコギコと音のする縁側も、ななめにかしいだままの鴨居も、「あえて直さずそのまんまで住む」のが加納流。人に対してもきっとそうであるように、老いていく建物に対するそのまなざしはやさしい。人間の一生よりもはるかに深い年輪を重ねてきた家への信頼が端々に伝わってくる。
「モノが捨てられない」という加納さんの暮らしは、快適という名のもとに、きたないものや臭いもの、役立たずなものに蓋をし、便利さや見た目の美しさだけを追求する現代の暮らしとはある面、対極にあるものだ。けれど、通り庭に出れば川からの心地よい風を感じ、季節のうつろいを、その微妙な光の違いによって家に居ながらにして知る。自然が家の中を往来する「潤い」は、なにものにも変えがたい加納さんの暮らしそのもののように思う。そしてそこに発生するさまざまなものとの折り合いのつけかたに、加納さんが言うところのきめ細かな「住まう側の技」が加わるのだろう。

 そうこうしているうちに、時計の針が2時を告げた。加納さんが、午後からの染織作業にもどる時間だ。くり返される毎日の営みに流されることなく、打ち込むものに身を預けるその姿に、こちらまですっと背筋が伸びる。ていねいに頭を下げて見送ってくれる加納さんを背にのれんをくぐり、また元の滲みるような初夏のひざしの下へと出た。こうしている今も、格子の向こうで、そしてのれんの向こうで、この町に住まう人はそれぞれに豊かな暮らしを紡いでいるに違いない。格子が織りなす美しい町並みのリズムと、そんな人々の生活感が楽しげに重なってみえた。

2001年 6月1日



 その十一

ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。

「西蔵」での美味なる夕べ〜春の味覚を楽しむ会〜
 今年は例年よりも桜の開花が早く、花が散ってすっきりと若々しい姿になった葉桜が風に揺れていた。町並み保存地区の西側を流れる旭川の水もぬるみ、川岸には一面の菜の花が咲き乱れている。
 こうしてみると、勝山はほんとうに「川の町」だなあと思う。
こんなにもくっきりと四季折々の表情を変えてみせてくれるこの川の存在感が、白壁の土蔵の美しさをいっそう引き立てている。表通りの静かなたたずまいもさることながら、対岸からののびやかなこの景色、いわゆるバックスタイルがこんなにも映える城下町はおそらくほかにはないだろう。
 町家の軒先を飾るのれんも、そんな季節の風とどこか「おそろい」。
けっして申し合わせたわけではないのに、どのお宅も色合いが自然と調和し、それが町全体に上品なトーナリティを醸し出している。

 勝山の町をぶらり散策し、町並み保存地区の一角にある『西蔵』へ着いた時は、すでにあたりが暮れかけていた。ここで催される「春の味覚を楽しむ会」がこの日のお目当てである。もともと御前酒の貯蔵庫であったこの建物は、酒蔵と同じく百余年の歴史を刻む風格のある構え。普段は、銘酒と吟味された食膳が楽しめる和食処として人気を集め、一流ミュージシャンのライブも繰り広げられる隠れたジャズスポットとしても知られている。
 
 なまこ壁の蔵の表にはすでに人が集まり、松明の灯りの下、宴のプロローグが始まっていた。揃いのはっぴを着た蔵の方たちが、風流にも八重桜の花びらをグラスに浮かべ、日本酒のアペリティフ(!?) をふるまってくれる。
「菩提もとにごり酒」という名のそのお酒は、500年前の酒造りを再現して造ったという珍しい生原酒。山廃や生もとに準ずる昔ながらの懐かしい味わいは、高級なドブロクをなめているようだ。豊かな酸味と甘みが、とろ〜んとした夜風の感触と混ざり合い、ほんのり桜色の気分になる。
 すっかり日も落ち肌寒くなってきたところで内へ案内され、テーブルに着く。春夏秋冬と年4回催されるこの酒会を、毎回楽しみにやってくる地元客も多いようだ。町の人にとってはちょっぴり「よそいき」気分を味わいに、逆によそから来る客はリラックスしてくつろいだ雰囲気を楽しんでいるようにみえる。

 鶏笹身菜の花和え、蛤と空豆のフリカッセ、桜鯛の沢煮白髪葱、アボガドのグラタン、竹の子寿司…、この日のために用意された春の味覚が次々に供される。
菜の花や木の芽、アボガドのグリーンはいかにも春らしい。見た目にも工夫を凝らし日本酒に合うよう、一品一品、上品で奥行きのある味わいに仕立ててある。
合間を見てタイミングよく運ばれてくるお酒も個性豊かだ。大吟醸クラスのお酒がお出ましになるとさすがにみんな上機嫌。知らない者同士も同じテーブルを囲み、お酒を注ぎ合ううち次第にうちとけてくる。
会話に花が咲き、ついつい話題はこの地方の食べものの話へ…。

 今でこそ流通も発達し、生きのいい新鮮な魚は日本全国どこでも手に入るご時世だが、日本海からも瀬戸内海からも離れている勝山では、昔はおさしみもめったに口に入ることはなかったらしい。
 その分、川魚は豊富である。鮎掛けはこのあたりの夏の風物詩でもあるし、蒜山まで足を延ばせばとびっきりのアマゴも釣れる。そして近くの野山に分け入れば山菜やきのこもふんだんに採れた。かつてはたけのこも、まつたけも「もう食えん!」というほど、勝山ではあふれる食材だったそうな。
「今でもこのへんのもんで、たけのこをわざわざ買うてまで食べるもんはおらんなあ」と地元の人は口を揃える。
 そのほか、秋まつりの時期には欠かせないさば寿司も、勝山を代表する郷土の味覚。このあたりで年中市販されているさば寿司もあるにはあるが、旬のさばを使い、各家庭で手作りしたものには格別のおいしさがあるという。手作りこんにゃくに、左党にはたまらないであろう佳肴、葉わさびのしょうゆ漬けもおすすめらしい。
 どれもこれも地元の方たちから聞く食べものの話は、そそられるものばかり。
そんな素朴ながらも本当においしいものは、やはり土地の人のためにあるという気がする。お酒もしかり。その時期にしか飲めないしぼりたての生酒も、その蔵で、その土地の味覚とともにいただくといっそう味わいも豊かになる。
 
 人も食べものも、できることならそんな「普段着のまま」の出会いがうれしい。おいしい食べものとお酒は、見知らぬ者どうしの垣根をとりはらってくれる。『西蔵』でのひとときは、まさにそんな出会いを演出してくれるとてもここちよいものだった。

「今度祭りには来てーよ」。
同席したおじさん達にかわりばんこに声をかけられた。きっとこの町を訪れた人は、誰もが必ずどこかでこの誘いを受けることだろう。
「10月の19日と20日じゃからな。あずき色のはっぴよ。上若連のこの顔おぼえといてよ!」。
勝山の歴史と風土、人の想い、誇り、男衆の熱気と心意気…。祭りにはこの町のすべてのものが凝縮されているのだ。
そして、あとには必ずこう続く。
「勝山はええところよ」と…。
お腹も心もいっぱいに満たされて、また来るであろう勝山への期待にいっそう胸が高まった。

2001年 5月1日



 その十

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「春を彩る暮らしの歳時」〜勝山のお雛まつり〜
 うららかな春の訪れを予感させる3月のはじめ。この日勝山の町は、春を呼ぶ行事で湧きたっていた。
 町家ならではの深い軒下には菜の花や桃の花が活けこまれ、家々の玄関先では、縹(はなだ)色や薄桃色ののれんが、時折ひゅうーと風に舞い上がる。やさしい春の彩色のせいだろう、江戸時代の面影を残す渋い町並みが一転、明るく華やいでみえる。そして、旧家のお座敷で、町家の軒先で、土間で、あるいは玄関の間で、時の眠りから覚めた主役のお雛さまたちが、「ようこそ」とほほえみかけてくる。

 今年で3回目を迎える「勝山のお雛まつり」には、毎年県内外から大勢の人が詰めかける。この日も町の中心部に入ろうとする車が次々に巡回し、臨時の駐車場はどこも満車状態。その人出の多さを物語っていた。観光イベントでもなんでもない、暮らしの中のまつりごとにどうしてこんなにも人が押し寄せてくるのか、最初の年、町の人もふたを開けてびっくりしたという。
 もともとは、保存地区の一角にある老舗の造り酒屋、辻家に嫁いでいらした智子さんが、自宅を解放して、家に伝わるお雛様や人形作家・藤原了児氏の創作人形を展示、お披露目をしたのが始まり。その試みが思いとともに町の人たちにも広がり、それならみんなで楽しもうと町をあげてのおまつりになった。おかみさんたちはそれぞれに“わが家のお雛さま”を演出し、訪れる人のために花を活ける。旦那衆は準備を手伝い、仲
間達と一緒にソバを打つ。普段の暮らしの延長にある豊かな営み。それが人の心をひきつけて止まないのかもしれない。それ以上に、そこに住む町の人たちが“なにやら心弾ませている”その様子に居心地のいいなにかを感じてしまうのだ。

 雛まつりの会場である約1kmにわたる通りでは、あちこちで各家々のお雛さまをのぞきこむ黒山の人だかりができていた。中には真剣なまなざしでレンズを向ける写真愛好家や、外国人の姿も見られる。
 江戸、明治、昭和、平成とさまざまな時代の雛飾りに心を奪われながら通りを歩く。古い町並みと、それぞれの家を包む空気や匂い。同じ時を経てきたもの同士が醸し出す絶妙な息づかいのようなものを感じつつ、過去から現在をつなぐ旅をしているような気分になる。
 目を引くのは、やはり色だ。古来からの魔よけの色でもある赤や朱色には、時を経ても色褪せない独特の華やかさと強さが、そして、陰影をたたえた古代色には、女性らしい奥ゆかしさや洗練された美しさがある。
 顔だちや着もの、設え、細工など細かく見ていけばキリがない。けれど、たとえそれが名工の手による工芸品であろうと、小さな布に綿をつめてこしらえたほほえましい手作り雛であろうと、子どもの健やかな成長と幸せを願う気持ちは変わらない。そこに込められた祈りはどれも同じなのだ。

 雛人形は、親から子へ子から孫へと受け継いでいくものではなく、その娘の一生の守り神として、本来は一人にひとつが原則らしい。一軒で3つもの雛飾りを並べているお宅にふと足が止まった。
 「これは、今年で93歳になるおばあちゃんのもの。その手前の雛壇飾りは、その長女のもの。それからこの横の親王びなは、平成になってうまれたその孫のものなんですよ」。
 部屋の隅にきちんと正座をして迎えていらっしゃった奥さんがそう教えてくれた。お雛さまは、大切な家族の系譜なのである。他にも江戸時代から続く旧家では、はっきり年代もわからないような貴重なお雛様が、ほとんど欠損したりすることなく美しい状態で保存されていたりする。
 「道具箱の中にも小さな茶釜とかが納まっているので、それもひとつひとつ紙で包んで、やわらかな布でくるんで仕舞うんです。必ず樟脳を入れてね。毎年のことでしょう。大変なんですよ」。
 手間を惜しまず時間をかけて育んでいく「大切なもの」への愛着…。これだけモノがあふれかえり、次から次へと簡単になんでも手に入ってしまう今の世の便利さは、逆に心を素通りしていくだけで味気ない。始末を尊ぶ勝山の人たちの暮らしぶりに、本当の意味での“贅沢”を教えられる。

 さて、お雛さまにも堪能したところで昼どきとなり、さっそく腹ごなしだ、と顆山亭(かざんてい)を訪ねる。この日は日曜日で、朝から「町並み保存事業を応援する会」の人たちが総出で自慢のソバをふるまってくれるのである。実はそれも楽しみにしてきたのだ。着くと、なんと店の前は長蛇の列。大盛況ではないか。裏方はさぞやてんてこまいだろうとあたりを目で追う。
 あっ、居た居た。藍染めの粋な手ぬぐいを頭にかむり、「ソバ打ち集団」と化したメンバーが。「20kgのソバ粉を仕入れたけど、もう尽きてしまいそうですよ」。隊長の原田さんは、半ば必死の様相で手を休めることなく嬉しい悲鳴をあげる。ありつけたら御の字と思い、とりあえずテーブルに付いて「かけ」を注文した。なんとかぎりぎりセーフだった。
 あつあつのおつゆをずずーっとすすり、うちたて、ゆがきたてののどごしのいいソバをかきこむ。胃におさまったところでほっとひと息。あーうまいっ。

 店の中から通りをぼんやり眺める。あいかわらず人の流れは途切れない。古い町家の中にいると、外の光りがやけに明るくまぶしい。
 「わー、この御殿は白木だわ…」「見てみて、これも古いお雛さまねえ…」道行く人のうれしそうな話し声に耳をかたむけながら、春の足音がそこまで近づいてきているのを実感した。

2001年 4月2日



 その九(後編)

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(前回からのつづき)
 蔵を出ると、10日後に控えた「勝山のお雛まつり」の準備で、『町並み保存事業を応援する会』の人たちが桃色の幟(のぼり)を立て終えたところだった。日曜日は仕事が休みなのか、その後は、どこからともなく銘々が食べ物や酒をもちよっては、気のおけない集会が始まる。観光客のための無料休憩所「顆山亭」(かざんてい)も、この町では管理をしている生活者が主導。愛着のあるこの建物を地元の人たちも多いに利用する。ここが誰も不在になって、単なる容れモノになることなどはまずない。
 いつのまにかテーブルの上には、自家製のおこうこ、焼椎茸、こんにゃくの刺身、と肴が並び、わざわざ鉄板屋台を調達してまでこさえたというこの日のメイン、お好み焼きと焼きソバがドン!と目の前にだされた。どれもどんぶり鉢と大皿にはみださんばかりに威勢良く盛られた男の料理。
「こりゃあ、焦げとるでー」「ソースが足らんのとちがうか」と好き勝手に憎まれ口をたたきながらも、いっせいに箸がのびる。ストーブの上のやかんから、ちょっと熱めの燗酒を湯呑にどぼどぼ…と注ぎ合い、うまそうに飲み、食べ、そして話しの花が咲く。誘われるままに、気がつくと輪の中にいれてもらって、私も飲んでいた。
 
『町並み保存事業を応援する会』は、5年前に勝山の町並み保存地区内に住む有志達によって発足し、ゆるやかにスタートした。現在メンバーは14人。自称「近所のおじさん連中」を名乗る面々は、会社員、造り酒屋、床屋、小売業、染色家と、職種も性格も色とりどりの、40歳から50歳代の大人たちである。共通するのは勝山の町が好きで人が好き。とりわけ祭りと聞けば血が騒ぎ、おもしろい、と思えば熱くなってのめりこむ、根っからの勝山人気質をみなそれぞれに受け継いでいる、といったところだろうか。
 もともと、町の中にあるこの無料休憩所も、彼らが自分たちの手で傷んでいた古い空家の内部を床から張り替え改修したものだし、用水脇で涸れていた「つるべ井戸」に、息を吹きこみ再生させたのも彼らである。古い町家や町並みは、それなりに世話が焼ける。けれど、長い年月を経て共に在るものへのいとおしさも、それだけ特別なのだ。
 活躍は町のメンテナンスだけではない。軒先々でさらりと風にゆれるのれんの町並みづくりも、各家々に伝わるお雛様を通りにまつる「勝山のお雛まつり」の催しも、持ち前の連帯感で一役かって盛り上げてきた。数年前からはそば打ちにも取り組み、年に数回、観光客にその自慢のそばをふるまったりもしている。
 そんな一連の活動を、メンバーのひとり、原田さんは「楽しみながら、(そば打ちなど)資金稼ぎもできる勤労奉仕よなあ」と笑って言ってのける。
でも、その「勤労奉仕」というのも、なんだか生活の中から生まれる上質な娯楽といった趣を感じさせるものがある。お金を使って仕掛けをわざわざこさえる観光事業とは無縁のものだ。実際にそこに住む人たちが主役になって日常を楽しむ。通りを歩いていてどこからともなくふわりと漂ってくるそんな町の人の感性やゆとりに触れ合えた時、訪れる人は、その土地の素顔に出会えたような、あたたかで素朴な喜びを感じるのだと思う。
 
 さて、集いもたけなわ。昭和30年代の勝山の人と風景を映し出したビデオを見ながら思い出話が飛び交う。こんなこともあった、あんなこともあったと、まるで昨日のことのように次から次へと少年時代の爆笑エピソードがつむぎ出され、よそものの私もそのおかしさにつられて、つい笑ってしまう。勝山という山間の町を舞台にした、ある時代の記憶の中の風景や出来事に、この人たちは一瞬にしてピントが合ってしまうんだなあ。人を育てる環境というか、土地というものの持つ力の大きさをあらためて感ぜずにはいられない。
 そんな中、ひとしきり騒いでお腹もふくれ、心もからだもあったまってきたところで、メンバーのひとり森本さんが、少々酔いの回った、けれどしっかりした口調で言い放った。「僕らがやってることは、こんなことをしました、どうですか、評価してください、というものじゃ決してない。そういう姿勢になったらいけないと思うよ」。
活動を広げるより、こうして仲間と一緒になにかやって気持ちが広がっていくことがうれしい。一番大切にすべきものはなんなのか、この町の人たちは心のどこかできちんとわかっているのだ。そして、それを少しづつ、形に変えていっているのだと…。

2001年 3月31日



 その八(前編)

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「吟醸酒に酔いしれて」〜酒蔵見物〜
 二月も後半。春遠からず…と思いきや四方を山に囲まれた勝山は、この日みぞれがちらつく真冬の空模様だった。
 一年のうちで最も寒い一月と二月は、酒づくりの大詰め、吟醸酒仕込みの最盛期でもある。それでなくとも普段から家の中には酒瓶がころがり、冬場は鍋ばかりをつついている我が家である。足は自然と酒の香りのする方へと向かってしまう。
 辻本店は、勝山で百九十年続く「御前酒」の蔵元である。軒先には、造り酒屋のシンボルでもある大きな「杉玉」が吊るされているが、もともとは、酒の神様である松尾さまの大切なよりしろでもあるところ。この時期、松尾さまの御機嫌を損ねてしまっては大変だ。頭などをぶつけてしまわぬよう、ちょっとばかし注意を払いのれんをくぐる。
 岡山の酒は不思議なことに、なぜか地元よりも県外で飲まれる割合が多い。その中にあって、ここ「御前酒」は新酒鑑評会で何度も金賞を受賞する実力蔵でありながらも、8割近くを県内に卸す地元重視の蔵なのである。地酒はその土地の風土と人に育てられる。だから、その土地の人のからだと心に還るのがやはり自然な気がするのだ。そういう意味では、地酒の正しいあり方を突き進んでくれる蔵がもっと増えてくれればいいなと思ったりもするのだが、岡山は「雄町米」という名だたる酒造好適米の産地でもあるし、岡山の酒が全国的にも有名になるのは、一方ではとてもうれしいことではある。
 吟醸酒は、よく酒の芸術品にたとえられる。初めて口にした時、ほんとうにこれがお米だけから出来ているとは信じられないような驚きがあった。芳醇なワインよりももっともっとデリケートで、さわやかな極上の果実のしずくを一滴一滴集めたような、そんな香りと味がした…。
 留め仕込みを終えて、タンクの中でゆっくりゆっくり発酵を続ける吟醸酒のもろみを見せてもらった。中をのぞくと、ふわーっとフルーティな吟醸香がたちのぼってくる。この独特の香りを出すには、酒造好適米を原料とし、特別の麹をつくり、強い酵母を育て、超低温発酵という微妙な温度管理が必要となる。杜氏や蔵人が全力を注いで打ちこむだけの高度な職人技が要求されるのである。なんといっても、最終的にはその蔵の杜氏さんのセンスと腕にかかってくる。
 この蔵で40年間杜氏をつとめる“おやっつあん”、原田巧さんに、「吟醸酒の仕込みで一番難しいところはどこですか」などと、月並みな質問をぶつけてみる。
「出発点となる原料米の処理でしょう。30%から40%になるように米に水を吸わせます。水の吸い具合も米の性質によって違います。吸水がうまくいくといい蒸し米ができて、そのあともわりとラクにいきますが…」。きまぐれな質問にもひとつひとつていねいな答えが返ってくる。備中杜氏の中でもリーダー的存在として人望の厚い原田さんは、雰囲気も人柄も謙虚で誠実そのものといった印象だ。
 日本酒は、酒米の半分以上をぬかにして削る。吟醸酒にいたっては、透明な水晶のようになるまで、7割近くを磨き落としてしまうのだ。米を作る農家の人にしてみれば、なんてもったいないことをするのだ、といたたまれない気持ちになるかもしれない。それだけに、一粒の米も無駄にはすまいという厳しさが酒づくりの世界にはあるように思う。時に杜氏は、不眠不休でみずからの身を削り、酵母は極限状態を強いられてストイックに成長する。吟醸酒というのは、そんなサディスティックな危うさを内に秘めている。妖しいほどに…。だからこんなにも感動的に人を酔わせることができるのかもしれない、と勝手に思ってしまうのであった。
 4月8日には、毎年恒例の蔵開きが行なわれるという。この日一日蔵を開放し、訪れる客は出来たての新酒が味わえるのだ。なんだか、その日が待ち遠しい。

2001年 3月2日



 その七

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「豊かな時間の流れる風景」
 まだまだ寒さ厳しい1月下旬の勝山で、それは静かに春を待ちわびていた。女の子なら、誰もが祝う桃の節句。今年で3回めを数える勝山の雛まつりも、生活に根ざした想いから始まった。

 発起人は、勝山の地で約200年の歴史を重ねた酒蔵「(株)辻本店(つじほんてん)」に嫁がれてきた辻智子さん。彼女は言う、「子供達に雛まつりの思い出を残したい、ただそれだけよ」。

 日差しの和らぐ春のはじまり、薄紅色の可愛いつぼみがほっこりとした花を咲かせる。軒を連ねる家々では、それぞれの歴史がつまった雛まつりの支度が始まる。一つ一つに込められた両親の愛情と祈り……、どこかすましたお雛様に女の子は、未来の自分を重ねてみる。甘い香りのお屠蘇に色とりどりの雛あられ、友達の家々を雛人形めぐりに出掛けた。そんな日常がきっとどこの家でもあったはず……。そしてそこには、いくつになっても、心に残る優しい確かな時間が流れていたはず。そんな思い出を子供たちにも繋いでいきたい。特別なことじゃなく日々の生活の中で、と語る智子さんの表情は、少女のような輝きを放っていた。

 そもそも勝山の雛まつりは、智子さんがお義母様と一緒に「如意山房」と名付けられた自宅を一般開放し、そこで辻家のお雛様と黒田由美子さん(人形作家)作の土雛を展示公開したことに始まる。この日、ちょうど、お雛様を一組飾ったところだと聞いて、早速見せていただくことにした。建築的にも文化的にも非常に価値の高いその空間は、豊かな時を重ねてきたものだけが醸し出す、独特の香りがあった。昔ガラスから差込むやわらかく屈折した光が、しんと冷たい奥座敷の目を覚まし、心地良い緊張感が部屋の中を満たす。そして、鮮やかな毛氈の雛壇に飾られたお雛様達。稚児雛の愛らしい面をみていると、時間がさかのぼって止まるような気がした。

 3月1日から5日までの5日間、勝山のまちでは、各家が自宅の軒先を開放し、自慢のお雛様を飾る。虚栄ではなく、生活感あふれる、日々を楽しんで暮らす勝山人気質に触れたとき、道ゆく人々は何を思うのだろう。時代の流れの中で、いつのまにか見つけにくくなった豊かな時間の流れる風景……それが、ここ勝山にはある。親から子へ、そして孫へと伝えられていく思いが、ここには確かに存在する。そこに住み、生活し、息づいている。そんな力強い人の営みと懐かしい匂いに触れて、心がとてもあたたかく優しくなった。

 帰り道、ふと立ち寄ったお土産物屋さん。とびっきり明るい笑顔と声で迎えてくれたおばちゃん達。雛まつりのことを聞いたら、すごくすごく嬉しそうな目をして、ぜひ来てねと言ってくれた。ああ、一緒だね、みんな少女の目をしてる。私も春のはじめに会いに来よう。勝山のお雛様たちに、一人の女の子になって。


2001年 2月4日



 その六

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「勝山の男達」
 平成12年12月31日……20世紀も今日でおしまい。勝山の大晦日には、ここ数年に恒例となった「蕎麦打ち」がある。さぁ、どんな年末風景が見られるのだろうか。

 ちまたでは、新世紀の幕開けを今か今かと待ち望み、きらびやかなビック・イベントが繰り広げられている。渋滞を覚悟して出かけたものの、道路混雑することもなく、いつもと変わらない静かな空気に包まれた勝山の町に到着した。伝統行事「けんかだんじり」をはじめ、「雛まつり」「のれんの町並み」などの町並み保存事業の数々……、勝山の町の仕掛け人達が動けば必ず人が集まり、報道陣も動く。全国TV放送でも紹介され、人々の注目を集める町……。しかし、いつ来ても一見閑散としてさえ見えるこの静けさ、観光地とは決して呼べない飾り気のなさ、なのだ。

 店はのれんを下ろし、ひっそりとした町の通りは、どこにでもあるお正月を前にした風景だ。そこに、灯りがともされ、人の出入りに慌ただしい所がひとつ。「顆山亭」……。蕎麦打ちはここで行われる。「顆山亭」は町の仕掛け人達の手で作られた、町並み保存地区中央に位置する無料休憩所であり、町の人々のつどいの場だ。「蕎麦打ち」というから、てっきり蕎麦を打たせてくれるのかと思いきや、なんとこの「顆山亭」がこの日そば屋として営業されるのだった。町の催し、しかも食べ物とくれば活躍するのは女性をイメージするが、ここで腕を振るっているのは男達だ。エプロンに手ぬぐいを頭に巻いた男性がもてなしてくれる。蕎麦を打つのはもちろん、調理をするのも、接客するのも男……。女性は影すらもみあたらない。「年末じゃもん、女の人は家で忙しいけんな」……それはごもっともだろうが……。

 そもそもこの「蕎麦打ち」は、町の仕掛け人たちの事業活動資金を稼ぐために始まったらしい。ここの『資金稼ぎ』は、寄付金集めでもなく、いわゆる客寄せイベントでもなく、「蕎麦打ち」なのだ。町から代表二名が鳥取まで出向いて、本格的な蕎麦打ちを習いに行くところからスタートし、そこで習得した技を仲間に伝授してきたらしい。手さばきも鮮やかにそば粉をこね、伸し、専用の機械で切る。材料はというと、インターネットで全国から厳選したこだわりのものを取り寄せたり、地物の野菜を使っていると誇らしげに語る。どこか「資金稼ぎ」なものか……。勝山の男達はまったくよく遊ぶ。「勝山にゃー遊ぶとこもねぇけんなぁ」……そうつぶやきながら、よく遊ぶ。当の本人達は知ってか知らずか、遊びのために遊びを生み出し遊んでいる……。そんな風にしか私には見えないのだ。

 午後四時、営業が始まると、ゾロゾロと町の人たちが家族連れでやって来る。あっという間に「店」はいっぱいになり、できたての本格「手打ちそば」に舌鼓を打つ。そばのコシ、風味、だし、ネギ、鴨……、「心のこもった手作りの味」に期待はしていたが、それをはるかに上回る美味しさにうなってしまう。こうして私は勝山に期待をいつも裏切られ、予想外の味わいと小粋さに『またやられた……!』という思いをさせられる。

 さぁ楽しませてあげましょうと両手を広げて待ってくれる町ではない。何かあるだろう、楽しませてもらえるだろうと思っていくと裏切られ、なぁんだと思っているうちに、楽しんでいる彼らに楽しまされてしまうのであった。


2001年 1月10日


"GOZENSHU"
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