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ここ美作の国にまつわるお酒の話や町の話題、蔵人の内緒話、蔵からのメッセージなどエッセイ風に皆さまにお届けしていきます。 |
「生活の場」としての町家
〜ひのき草木染色工房、加納容子さんの暮らしを訪ねて〜
保存地区の町並みの美しさをひときわ印象づけている町家。ファサードとしての格子の表情は実におもしろい。細目格子、出格子、平格子…、よく見ると一軒一軒意匠が違っていて個性的。「うちはこんな家だよ」と自己主張しているようで想像をかき立てられる。
けれど、「伝統的建造物群」としての町家ではなく、生活の場としての町家を考える時、忘れてはならないのはそこに住まう人の日常の暮らしぶりだろう。「家」がどんなふうに機能していて、そこにはどんな空気が流れているのか、その様子を知りたくて、保存地区の中で最も古い町家のひとつであるお宅を訪ねてみることにした。
表には「ひのき草木染色工房」と掲げられた看板。その軒下で、地元勝山特産の檜の皮を使って染めあげた美しいのれんが風になびく。格子戸の向こうで出迎えてくれたのは、「町並み保存事業を応援する会」のメンバーの紅一点、「よんちゃん」こと加納容子さん。いわずもがな、保存地区の家々に掛かる粋なのれんの製作者。勝山を「のれんの町」で一躍有名にした、まさにそのきっかけとなった人である。美しい黒髪を一束にまとめ、きびきびとした身のこなしときっぱりとした話しっぷりが、とても都会的な印象だ。
加納さんの住まいは、もともとは三浦藩の米蔵だった3棟からなる。隣町で造り酒屋を営んでいたお祖父さまが、明治になって移り住んできた際に町家に仕立て、容子さんの代になるまで一家はここで商いをしながら暮らしていた。
蔵の原形をそのままに残す家の内部は、240年前の建造当時の面影をここかしこにとどめている。長い間の塵や埃、風…、すべてのものをおおらかに包み、吸い込んだ土壁は、「よくここまでになったね」と語りかけたくなるような風情。重ねた月日がそのまま地にとけ込んで味わい深い。
家の中は、各部屋が壁で仕切られているわけではなく、襖をはずせば表の通りから奥に抜ける庭まで、まるごと一つの大きな空間に感じられるのも大きな特徴だろうか。そして、町家ならではの独特の部屋の並びがおもしろい。
たとえば、店の横をつなぐ「店の間」は、主が客にお茶をもてなしたりする憩いのスペース。気心の知れた客はここにしょっちゅう入り浸たり、人が大好きだったというお祖父さんが「一日中ここで人を相手に飲み食いしてた」のを、加納さんは子ども心に覚えているという。もう少し奥、バックヤードにあたるところに「通り間」があり、ここは家族の生活の場も兼ねている。格子戸がガラッと開けば、「いらっしゃい」といつでも顔を出せるフレキシブルなスペースである。もっとも、最初から職住の空間分離という発想は加納さんにはないらしく、以前は店の間が半分生活の場でもあったようだ。最近は観光客もふらりと表から入ってくることが多くなって、生活がまるみえになるのもどうかと知人からの助言もあり、1年半ほど前に部屋を移動させたそうだ。そして、以前の店の間は加納さんの生業である糸紡ぎと機織りの作業場になっている。
気になるのは台所である。
「見せてもらっていいですか?」と、お願いしたところ、「ええ、いいですよ」と、軽くOK。まるで気どったところがない。
町家は、建物の中を土間が貫通しているのが大方の特徴で、「ダイドコ」はその途中にある。竈土はそのまま調理台として利用されており、愛用の業務用コンロが3台。流しはむろんステンレスなどではなく、いわゆる昔の「ジントギ」に近い。年季の入った調理道具の数々が壁を埋めつくすように吊り下げられている様はなんだかセピア色のコックピットのようだ。そして「通り間」の奥に、ダイドコに関連して食事をとる「居間」がある。
それにしても空間が高い。土間の上は吹抜けなので、太い梁がむきだしのまま。風通しがいいというよりも、ほとんど吹きっさらしに近く、「ここはアウトドアか」といいたくなるようなたたずまいである。けれどここでなら、クサヤだろうがなんだろうが、モクモクと煙をあげて魚を焼いても平気のへいざ。油の飛び散るてんぷら料理もめではない。夏になればすぐ裏手の井戸でスイカをまるごとざぶんと冷やす。シンプルでかつ大胆…、そんな食べ物の一番おいしい食べ方を熟知しているかのようなこのダイドコは、ある意味、機能的でさえある。
「冬になるとね、あそこから雪が吹き込んでくるのよ」と一番高い天井裏を指さしながら加納さんが言う。「だから冬は外より一枚多く着込むんですよ(笑)」。あっけらかんとこともなげに言い放つ。「暑い風も寒い風も体に受けて暮らす」そんな生活を何十年も続けてきた加納さんにとって、不便という感覚はみじんも感じられない。それどころか「古い建物をいったん請け負ったからには人間の方が鍛えられるべきですよ」と歯切れのよいひと言が返ってくる。
実際に家の中を移動するたび、土足を脱いだり履いたり、框を上がったり降りたりの繰り返し。町家暮らしにはかなりのフットワークが必要だ。そのうえ土間はタイルのようにフラットではないから、ずるずる歩くとうっかりつまづきそうになって気が抜けない。
歩くたびにギコギコと音のする縁側も、ななめにかしいだままの鴨居も、「あえて直さずそのまんまで住む」のが加納流。人に対してもきっとそうであるように、老いていく建物に対するそのまなざしはやさしい。人間の一生よりもはるかに深い年輪を重ねてきた家への信頼が端々に伝わってくる。
「モノが捨てられない」という加納さんの暮らしは、快適という名のもとに、きたないものや臭いもの、役立たずなものに蓋をし、便利さや見た目の美しさだけを追求する現代の暮らしとはある面、対極にあるものだ。けれど、通り庭に出れば川からの心地よい風を感じ、季節のうつろいを、その微妙な光の違いによって家に居ながらにして知る。自然が家の中を往来する「潤い」は、なにものにも変えがたい加納さんの暮らしそのもののように思う。そしてそこに発生するさまざまなものとの折り合いのつけかたに、加納さんが言うところのきめ細かな「住まう側の技」が加わるのだろう。
そうこうしているうちに、時計の針が2時を告げた。加納さんが、午後からの染織作業にもどる時間だ。くり返される毎日の営みに流されることなく、打ち込むものに身を預けるその姿に、こちらまですっと背筋が伸びる。ていねいに頭を下げて見送ってくれる加納さんを背にのれんをくぐり、また元の滲みるような初夏のひざしの下へと出た。こうしている今も、格子の向こうで、そしてのれんの向こうで、この町に住まう人はそれぞれに豊かな暮らしを紡いでいるに違いない。格子が織りなす美しい町並みのリズムと、そんな人々の生活感が楽しげに重なってみえた。
2001年 6月1日
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