春樹食堂という名の通り「春の木」をモチーフにしたシンプルなのれん。
デフォルメされた幹に、新緑のお山を逆さにのせたようなデザインが、なんとも
大胆でユーモラス。見ているだけで、のんびりとした春の気分に包まれる。
その昔、店の裏手が旭川の船着き場になっていたこともあり、もともとは
「はるや」という屋号で旅館を営んでいた。富山の薬売りや、山の仕事に
従事する「雑木師さん」たちの定宿としてもにぎわっていたそうだ。
海上交通が廃れてから後に、現在食堂に転身。店内の雰囲気もその
頃とあまり変わっていないのか、テーブルやイスなどからは懐かしい昭和の匂い
が伝わってくる。ちなみに今の屋号は、先代がその頃流行っていた映画『君の名は』
の主人公の名にあやかって改名したもの。「親戚からは、やめてくれえと反対する
声もあったそうなで」と、ご主人が愉快そうに話してくれた。
食堂からドアを隔てた隣に、なにやら自慢の奥座敷があるというので、
のぞかせてもらった。古い民家から集めてきたというすどや箪笥、松竹梅で
作られた珍しい自在や古道具などは、すべてご主人のこだわり。部屋の中
にはなんと囲炉裏が切ってあり、ここで炉端焼を楽しみながら、うまい地酒を
楽しむという趣向らしい。むろん客からの予約が入れば、夜はそのまま居酒屋
にもなる。
もともと、昔ながらの町家には、店の横に、外からの客をもてなす「店の間」と呼ば
れるスペースがあった。今も建物の中にその名残を留めるお宅も多い。
顔見知りがしょっちゅう出入りする町家地区ならではの文化なのか、職と住を完全に
分離せず、人が来れば、いつでもお茶を出しておしゃべりできる空間が暮らしの中に
確立されているのだ。それが勝山保存地区に住む人たちのもてなしの原点でもあり、
他にはない不思議な魅力になっている気がする。春樹食堂の奥座敷もまさに、遊び
心満載のフレキシブルな「憩いの間」といったところだ。
この春樹食堂には、実はもうひとつの顔がある。なんと今では珍しくなった下宿屋
さんを営んでいるのだ。今は、勝高野球部の男子学生2人を預かっているそう。
「40年もやってるけど、(町内で)まだ続いているのはうちぐらいかな。朝はお弁当をつく
って送り出すんですよ(笑)。宿屋をやっていたから部屋はあるし、まかないつきなので、
ここなら安心と思ってもらえるみたいで」。来年も、蒜山から勝山高校に越境入学して
くる子を預かることになっ ているらしい。年々子どもの数は減っているけど、望む人がい
る限り、勝手にやめるわけにもいかない、とご主人。看板はあげてないけれど、目にみえ
ないところで、人と人とのふれあいを大事にしている。 他所の子供たちの世話を引き
受けてくれる下宿屋さんが今も存在する町。人の温度も、きっと昔から変わっていない。
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